コロンビア(Columbia) バックパック・リュックサックは、独自のカッティング“ラジアルスリーブ”、高レベルの防水性と透湿性を両立させた“オムニテック”、画期的なベンチレーションを実現した“ラジアルベンチングシステム”など、現在も多くのアイテムに採用されているオリジナル素材や機能の数々がフィールドへと広がっていきました。
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コロンビア(Columbia) バックパック・リュックサック通販【Columbia 正式HPより引用】
Columbia HISTORY 1938-1960's
■コロンビアの歴史は、オレゴンから始まった。
コロンビアスポーツウェアカンパニーの創始者ポール・ラムフロムは、家族と共にドイツから新天地アメリカへと渡ります。新たなる夢を抱いて辿り着いた地は、オレゴン州ポートランド。
そして1938年、ラムフロムは小さな帽子問屋の権利を買い取り、コロンビア川にちなんで、社名をコロンビアハットカンパニーと命名。コロンビアスポーツウェアカンパニーの記念すべき第一歩です。
ガート・ボイルは、まだ10代だったこの頃から家業をサポートしています。そして後にガートの夫となり、コロンビアの社長となるニール・ボイルも、1950年よりラムフロム家の事業に参加。
1960年、ポールとニールは自社での製品生産を始めます。コロンビアハットカンパニーは、スキーグローブ製造会社コロンビア・マニファクチャリング・カンパニーと合併し、ここにコロンビアスポーツウェアカンパニーが誕生します。
Columbia HISTORY 1960-1970's
■コロンビアとマザーは、苦難に立ち向かった。
コロンビアのファーストといえるマルチポケットフィッシングベストの開発から4年。
これからという時期に、ガート・ボイルの父であり、創始者であるポール・ラムフロムが逝去。
そして社長を引き継いだ夫ニールもまた1970年に急逝。
ガートの元に残されたのは3人の子どもと多額の借金でした。
彼女はコロンビアを売却することを決心します。
しかし、会社に対する評価は驚くほど低く、提示された最高額でも負債を返済するのがやっとという数字でした。
ガートはここで決意を新たにし、まだ大学4年生だった息子ティム・ボイルとともに、再建の道を歩み始めます。
彼女が目指したのは、細々と家業を続けることではなく、亡き夫ニールが志半ばにして遂げられなかった拡大戦略を引き継ぎ、それを成功させることでした。
過酷な再建の日々。しかしコロンビアは着実に基盤を築き上げていきました。
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